沖縄奇譚

短い期間、沖縄に住んだ記憶

沖縄そば

沖縄の方言では、「すば」。
この地で1年と数カ月過ごして、その味にかなり慣れた…、というか週末は必ず食べていたような気がする。もともと日本そば(それも「藪」やら「更科」等)の愛好者だったので、正直「どうしても食べたい」というものではなかった。と言いながら週末愛車(GIANT ESCAPE)を飛ばして島内巡りをするにあたり、沖縄そばを食べ比べる、という目的を加えたことで、ずいぶんいろいろな味を堪能させていただいた。

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近くの食堂の定食、そばはつゆ替わり
食べてみて一番インパクトが強く、今でも「食べたいっ」と思うのは、北恩納の「なかま食堂」のソーキソバである。
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国道沿いのなかまそば外観
とにかくソーキが大きい。そばのどんぶりに入りきらないので皿に別に盛られてくる。別々なのにソーキソバ、これはご愛嬌で、味、コスパ共にお勧めの逸品である。
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とにかく大きな「ソーキ」
この食堂はどちらかといえば観光客よりも地元志向のお店なのだが(観光客指向の小奇麗な店ではない)、ツール・ド・沖縄の出場者が来店しジャージが飾ってあったりしておもしろい。片隅に私ゆかりの仙台にちなんだ「仙台四郎」の飾り物があったので、これどうしたの?とオッチャンに尋ねたら、時々来る仙台の人が置いて行ったとの由、そんな話をしていたら某清涼飲料水の960mlパックを「飲んで」とサービスしてくれた。嬉しい。そんなあったかいお店だ。
最新情報では、どうやら「引っ越し」したらしい。HP見る限りでは件のそばに変化はないようである。
場所も大きく変わっていないがご確認を!
https://nakamashokudou.com/

ちなみに、ここは食堂なので夜までやっていて当然酒が飲める。ただし北恩納のロケーションで運転代行は予約してない限りつかまらない可能性もあるので計画的に。

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見た目は居酒屋(笑)
一番最近ハマったのは、空港(アウトレット)近くの「よね食堂」。とてもオーソドックスな沖縄そばで味はあっさり系。こちらもどちらかといえば地元志向。空港に比較的近いとはいえ、空港~アウトレット~主要観光地・那覇市、という動線の中にないため観光客はちらほら。
https://tabelog.com/okinawa/A4704/A470401/47000070/dtlmenu/

こちらでは「そば」に関していくつかのバリエーションが楽しめるのでお試しあれ。

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空港近くのよね食堂
日常的に食べる可能性があるのは百円そば。文字通り百円。小さめの器に沖縄そば、ネギ、紅ショウガ、かまぼこと小さな肉。カップめん食べていると思えば納得、弁当の汁代わり、小腹を満たすスナックというところだろうか。アパートの近くの惣菜屋「いせ」で度々食べていた。また、毎週末には近くのスナックの昼営業で350円の沖縄すば(またはカレー)を食べるのが日課になっており、いつの間にか沖縄そばが生活の一部になっていた。
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真栄田岬のそば
東京に戻ってからは時折街中で沖縄そばの店を見かけるが、正直お金出して食べようとは思わない。
日常というよりは、「レストランのメニュー」という感じで(うまく表現できない…)、沖縄に遊びに行ったときのみ、お気に入りの店で食べている現状。沖縄料理そのものが現地で食べるから価値があるのかも、東京に持ってくると多かれ少なかれ、本土流にアレンジされてしまうから。

エイサー

テレビでしか見たことはなかった。それゆえ派手な衣装と踊り、力強い太鼓というステレオタイプのイメージを持っていたが、赴任して数日後、それは自分の誤解であることに気付いた。

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よく見かける「エイサー」
第1話で触れたように、自分の住まいは中部、それも中核都市とはいえ那覇に対しては地方である。
エイサーというのはどの地方から順に伝わったかなどの理由で、地域ごとに強い特色がある。赴任したのは丁度エイサーが盛んな8月だったので、東京からのこのこ現れた自分は、地元うるま市、平敷屋地区のエイサーにお呼ばれしたのである。
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平敷屋のエイサー

内容はインパクトの連続だった。まず、衣装が地味、原色が使われていない。次に踊りが地味、飛び跳ねたりしない。こちらのエイサーは歴史も長く、観光ずれしていないため、とても地味な形が保たれている。「オーソドックスな」という表現を使おうと思ったが、那覇の方々にとってはこちらがオーソドックでない…というご意見もあろうかと思うので、あえて地味、という表現にした次第である。
地域によって違うエイサー、年に一度、「全島エイサー」があるのだが、以前は順位が付けられていたらしい。平敷屋のエイサーはレベルが高く、連覇した歴史もあるとのこと。ある時期から順位はなくなったそうだが、その原因は順位が気に入らなかった踊り手が暴力に訴え暴動になったから…、という話を聞いた。ホントかな?と思い地元の区長さんに聞いてみると、「ほんとだよ、だって殴り合いにしたのは自分達だから(笑)」と屈託なく語ってくれた。

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泡盛の振舞い
で、祭りの間中地元の皆さんは泡盛を飲み続ける。それも一族郎党が集まって楽しく、和気あいあいと。古き良き時代の日本の大家族社会がここには残っており、会場全体が演舞場であり居酒屋状態である。時折踊り手が甕酒を振舞って回るのだが、「子供は飲まないで下さい!」という主催者側のアナウンスが入るほど、老若男女、分け隔てなくみな楽しんでいる。ちなみに、この会場へはほとんどの人が家族で車に乗ってやってくる。みんな飲んでしまったら誰が運転するのか…、野暮な疑問ではあるが、沖縄特有の「運転代行」を総動員してもこの台数は捌けないだろう。
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平敷屋のエイサー
平敷屋のエイサーは福島の僧侶が伝えた念仏踊りに起源があると区長さんが教えてくれた。そういえば衣装も太鼓もそんな感じがしてくる。気になったのは頭巾。インドネシアのブギス人(海洋民族)の頭巾に似ている。区長さんに尋ねると、遠い昔から南の島々とは交流があると言われているので、頭巾は共通のものかもしれないね…、と言っておられた。
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コンビニ前のエイサー
こんな全体的な祭りとは別に、旧盆の季節、エイサーは深夜まで町内を回り続ける。スーパーだったりスナックだったり、公園だったり、地元のリクエストに基づいて、振る舞い酒とともに踊りは続く。深夜まで続く太鼓の音と住民の拍手喝采
文字通り真夏の沖縄の風物詩、観光地では味わえない、伝統の「音」と「汗」を間近に体験できる。

首里城

ある程度書きためた原稿をブログに移しているのだが、あまり寝かせておくと時機を失してしまうので、先にブログ化しようと思った。
そもそも、あまりにもポピュラーな場所であり、取り上げたら余計なことまで書いてしまいそうだったので、城(グスク)の話題は他のお城の事を中心に語る予定だった。しかし、首里城についてここで何か語ってみたい…、と映像を見て思った次第である。
ある朝、通勤前の5時台にテレビをつけたら、首里城が燃えていた。全焼、というか中継中に本殿骨組みが崩れ落ちていった。日出前であの鮮やかな「赤」はわからない。ただ、建物の「赤」を文字通り紅蓮の炎が飲み込んでいる。そして崩れ落ちる建造物。木造の弱さ、というか火炎の勢いを物語っている。
沖縄に暮らしていた頃はあまり関心がなかった。一度出張の折に見学していたし、「赤い」建物の色彩が個人的には強すぎて「もう一度」来たい、とはあまり思わなかった。観光客も多すぎててちょいと疲れてしまう観光地だったこともあり。

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首里城正殿
訪れたのは一年目の正月、特に予定もなく、一人で過ごす正月も侘しいと思い、愛車(Giant)を駆って「新年のイベント」を観に行った。
琉球王朝の新春行事を再現したイベントだったが、首里城の「赤」をバックに繰り広げられる「儀式」は、本土の京都やら江戸で行われた朝廷・幕府行事とは異なる「中華文化」なのだな…、という印象を持った。
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首里城での式典
衣装と所作、そして色彩。ここには大陸の風が吹いている。鹿児島から島伝いに来れば確かに日本と繋がるのだが、海流や偏西風を考慮すれば大陸の繋がりのほうが歴史は古く、影響は大きいのかもしれない。
よく「日本は単一民族国家」という話が議論になる。いろいろな考え方、切り口があるのでその議論に触れるつもりはないが、この光景は本土ではほとんど見ることはできないと思う。強いて言えば、各中華街の色彩に共通点があるかもしれない。
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鮮やかな衣装
さて、すっかり焼け落ちた首里城からは、あの鮮やかな「赤」を連想することはできない。これから再建が進められていくのだと思うが、元通りの色彩が蘇ってくれることを祈りたい。歴史に忠実に、木造で建設してほしいが、やはり防火・耐震等の危機管理は十分お金を使って整えてほしいと思う。
何せ世界遺産である。それが石垣やら「遺構」の部分だけだったとしても、再建されるであろう建造物は間違いなく沖縄のシンボルになる。
友人と訪れた際には、どの建物だったか、沖縄の伝統的菓子を頂きながらお茶を飲んだ記憶がある。
再建されるのであれば、ぜひ、このような沖縄文化も堪能できる施設にしてほしい。ただしどこの集落のものかもわからない「謎のエイサーショー」は要りません。お土産屋さんも最小限でお願いします。
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今度訪れるのは何年後か、再建されたら是非訪問しよう。もう一度あの「赤」を目に焼き付けるために。

海中道路

うるま市に来て思った。こんな美しい光景が日本にあったのか…、と。

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海中道路
愛車(GIANT ESCAPE)で走っていたら、小高い丘を越えて東海岸の海が見えた。所謂「ターコイズ・ブルー」の海。下り坂でスピードに乗りながら、風を感じて、「この風景、俺が独り占め!」と思った。誰にもやらないよ、と。
海に突き当たって右折してしばらく行くと浅瀬の中に橋が架かっている。平敷屋の先のいくつかの島、宮城島、浜比嘉島、そして伊計島を結ぶ橋、通称「海中道路」である。
ガイドブックにはちゃんと載っているが、実際に見たときのインパクトは全く違う!本当にまわりが碧くて砂浜が白くて、なんというのか、感動ものである。このあたり、隠れた名店やらマイクロビーチがあり、本当に楽しめるのだが、この橋を渡るだけでも来た甲斐はあると思う。
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海中道路沿いの海にて
住み始めて早々にこの地区の虜になってしまい、車はもとより自転車、ジョギングで度々この道路を走破したが、自動車であっという間に走り抜けるより、ある程度時間をかけて渡った方が楽しめると思う。
潮が引いていればご覧のように自転車をおろしてこんな写真が撮れる。もちろんこの付近でマリンスポーツを楽しもうと思えばいろいろあり、夏場には観光客も多い。
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海中道路とマリンスポーツ
橋の中間には「海の駅」、ドライブイン施設があり、土産物も食事も大丈夫。ここではBBQもできる。
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あやはし館(海の駅)
地元の方々はビーチがクローズになるあたりから「ビーチパーリー」というBBQパーティーを海の駅周辺で楽しむ。車で来て浴びるほど飲んで、子供たちは海辺を楽しんで、帰りは運転代行に来てもらう。本州とは海の楽しみ方がずいぶん違うが、「皆で楽しむ」という原則がここにもあると思う。
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海中道路近くの沖縄料理
おすすめのご飯関係は数店あるので、後日また紹介するとして、ここでは是非魚を堪能してください。
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ちなみに、この地区の食堂関係は夜やっていないので、営業時間はネットなどで確認してから行くこと。
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海中道路に沈む夕日
夕方沈む夕日を堪能したら、あとは「真っ暗」になるので、観光は計画的に!
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海中道路イルミネーション
西海岸に比べて観光開発が進んでいない東海岸だが、自分が住んでいる間にこの橋のたもとにもローソンが出来たりして徐々に便利になりつつある。飲み物やらちょっとした食べ物、浮き輪とかサンダルを調達するのに何ら問題はない。一方で、マニアックな観光地ゆえ、ほかに集客力のある施設がない関係もあり、渋滞やら、並ばないと…、なんて不便は滅多にない。
のんびり、潮風に吹かれて、砂浜を歩いて、少なくともここでストレスを感じることはないと思う。
ちなみに、地元の接客業の方々はちゃんとした標準語もしくはライトな琉球方言を話してくれるが、ジイとかバアはヘビィな島言葉ゆえ聞き取りは困難。自分はある会合で大正生まれの浜比嘉島のバアと同席した際、ほとんど聞き取れず通訳が必要だった。(宮城島の昭和生まれのバアが通訳してくれた(笑)。)

では、海中道路周辺の食事スポットはまた後日、お楽しみに。

プロローグ~始まり

1 沖縄へ
既に数年が経過してしまったが、「定期異動」を控えた自分に、そのオファーは唐突にもたらされた。人事担当者からの「沖縄、希望されていますよね…。」という事務的な提案は、東京に残っても思うようなポジションに異動できそうにない自分にとって、「そのほうがまだましか…」程度の選択肢であった。
これまでほんの少しの出張経験しかなく、観光もしたことがない土地であったので、「何が魅力か」はわからない。帰宅して、沖縄赴任という提案を妻にして、それなりの議論をした記憶はあるが、結果単身赴任で行ってらっしゃいということになり、翌日には上司に異存ない旨お話した記憶がある。
実際、これまで明確な単身赴任は経験がなかったが、子供たちはすでに一人前になっており、また妻も頼られる仕事を持っていたので、家庭的な心配はなかった。
こんな状況の中で、7月末、沖縄へと旅立った。多少の漠然とした期待と不安を抱いて…。

 

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羽田・出発


2 住まい
沖縄、と言っても誰もが想像する那覇市内に住んだわけではない。仕事の関係で中部東海岸の「うるま市」に社宅を借りて頂いた。

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うるま市の地図



そもそも、うるま市、という地方自治体があることすら知らなかった。どうやら有名な嘉手納町の隣で、「沖縄市」にも隣接しているらしい。沖縄市も知らない…。何も知らない事が自分自身かなり笑えたが、長い人生の中でここまで関心がなかったのかと思い、ここでの生活はきっといろんな発見がありそうだ…、と自分に納得させていた。
幹線道路近くの社宅は一人暮らしには広く、家族を呼んでも何ら問題ない大きさ(所謂3LDK)だった。以後、家族、友人などの沖縄観光の拠点となる住処だったが、南国の沖縄らしく「暖房」はなく冷房のみだった。これが後日厳しい状況をもたらすのだが、なにせ台風直下の8月の事、何の疑問もなく受け入れていた。

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うるまの浜辺

3 観光
赴任したあたりは確か那覇で大規模なエイサーが行われており、妻と娘がなぜか観光しに現れた。私が職場でなんやかんやしている間にいろいろとスポットを巡ったようである。

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国際通り・エイサー

その結論は、「所謂観光地はつまらない、行かなくともよい。」であった。要するに、最初から集客を目的とした観光施設は面白みがない、ということらしい。
ということで、本土に再異動するまでの間は、あまり「観光スポット」には行かず、どちらかというとニッチな場所を探す日々となった。役に立ったのは社会人の息子がくれたクロスバイク、これで北から南まで走破することになり、そこで見つけたこと、聞いたことがこの「奇譚」のソースになる。
ということで、ガイドブックにない沖縄、あまり人が行かない沖縄、のんびりできる沖縄を、地元の人々に聞いた話を交えながら紹介させていただこうと思う。

しばらくお付き合いいただければ幸いです。