沖縄そば
沖縄の方言では、「すば」。
この地で1年と数カ月過ごして、その味にかなり慣れた…、というか週末は必ず食べていたような気がする。もともと日本そば(それも「藪」やら「更科」等)の愛好者だったので、正直「どうしても食べたい」というものではなかった。と言いながら週末愛車(GIANT ESCAPE)を飛ばして島内巡りをするにあたり、沖縄そばを食べ比べる、という目的を加えたことで、ずいぶんいろいろな味を堪能させていただいた。


最新情報では、どうやら「引っ越し」したらしい。HP見る限りでは件のそばに変化はないようである。
場所も大きく変わっていないがご確認を!
https://nakamashokudou.com/
ちなみに、ここは食堂なので夜までやっていて当然酒が飲める。ただし北恩納のロケーションで運転代行は予約してない限りつかまらない可能性もあるので計画的に。
https://tabelog.com/okinawa/A4704/A470401/47000070/dtlmenu/
こちらでは「そば」に関していくつかのバリエーションが楽しめるのでお試しあれ。

日常というよりは、「レストランのメニュー」という感じで(うまく表現できない…)、沖縄に遊びに行ったときのみ、お気に入りの店で食べている現状。沖縄料理そのものが現地で食べるから価値があるのかも、東京に持ってくると多かれ少なかれ、本土流にアレンジされてしまうから。
エイサー
テレビでしか見たことはなかった。それゆえ派手な衣装と踊り、力強い太鼓というステレオタイプのイメージを持っていたが、赴任して数日後、それは自分の誤解であることに気付いた。
エイサーというのはどの地方から順に伝わったかなどの理由で、地域ごとに強い特色がある。赴任したのは丁度エイサーが盛んな8月だったので、東京からのこのこ現れた自分は、地元うるま市、平敷屋地区のエイサーにお呼ばれしたのである。
内容はインパクトの連続だった。まず、衣装が地味、原色が使われていない。次に踊りが地味、飛び跳ねたりしない。こちらのエイサーは歴史も長く、観光ずれしていないため、とても地味な形が保たれている。「オーソドックスな」という表現を使おうと思ったが、那覇の方々にとってはこちらがオーソドックでない…というご意見もあろうかと思うので、あえて地味、という表現にした次第である。
地域によって違うエイサー、年に一度、「全島エイサー」があるのだが、以前は順位が付けられていたらしい。平敷屋のエイサーはレベルが高く、連覇した歴史もあるとのこと。ある時期から順位はなくなったそうだが、その原因は順位が気に入らなかった踊り手が暴力に訴え暴動になったから…、という話を聞いた。ホントかな?と思い地元の区長さんに聞いてみると、「ほんとだよ、だって殴り合いにしたのは自分達だから(笑)」と屈託なく語ってくれた。


文字通り真夏の沖縄の風物詩、観光地では味わえない、伝統の「音」と「汗」を間近に体験できる。
首里城
ある程度書きためた原稿をブログに移しているのだが、あまり寝かせておくと時機を失してしまうので、先にブログ化しようと思った。
そもそも、あまりにもポピュラーな場所であり、取り上げたら余計なことまで書いてしまいそうだったので、城(グスク)の話題は他のお城の事を中心に語る予定だった。しかし、首里城についてここで何か語ってみたい…、と映像を見て思った次第である。
ある朝、通勤前の5時台にテレビをつけたら、首里城が燃えていた。全焼、というか中継中に本殿骨組みが崩れ落ちていった。日出前であの鮮やかな「赤」はわからない。ただ、建物の「赤」を文字通り紅蓮の炎が飲み込んでいる。そして崩れ落ちる建造物。木造の弱さ、というか火炎の勢いを物語っている。
沖縄に暮らしていた頃はあまり関心がなかった。一度出張の折に見学していたし、「赤い」建物の色彩が個人的には強すぎて「もう一度」来たい、とはあまり思わなかった。観光客も多すぎててちょいと疲れてしまう観光地だったこともあり。
琉球王朝の新春行事を再現したイベントだったが、首里城の「赤」をバックに繰り広げられる「儀式」は、本土の京都やら江戸で行われた朝廷・幕府行事とは異なる「中華文化」なのだな…、という印象を持った。
よく「日本は単一民族国家」という話が議論になる。いろいろな考え方、切り口があるのでその議論に触れるつもりはないが、この光景は本土ではほとんど見ることはできないと思う。強いて言えば、各中華街の色彩に共通点があるかもしれない。
何せ世界遺産である。それが石垣やら「遺構」の部分だけだったとしても、再建されるであろう建造物は間違いなく沖縄のシンボルになる。
友人と訪れた際には、どの建物だったか、沖縄の伝統的菓子を頂きながらお茶を飲んだ記憶がある。
再建されるのであれば、ぜひ、このような沖縄文化も堪能できる施設にしてほしい。ただしどこの集落のものかもわからない「謎のエイサーショー」は要りません。お土産屋さんも最小限でお願いします。

今度訪れるのは何年後か、再建されたら是非訪問しよう。もう一度あの「赤」を目に焼き付けるために。
海中道路
うるま市に来て思った。こんな美しい光景が日本にあったのか…、と。
海に突き当たって右折してしばらく行くと浅瀬の中に橋が架かっている。平敷屋の先のいくつかの島、宮城島、浜比嘉島、そして伊計島を結ぶ橋、通称「海中道路」である。
ガイドブックにはちゃんと載っているが、実際に見たときのインパクトは全く違う!本当にまわりが碧くて砂浜が白くて、なんというのか、感動ものである。このあたり、隠れた名店やらマイクロビーチがあり、本当に楽しめるのだが、この橋を渡るだけでも来た甲斐はあると思う。
潮が引いていればご覧のように自転車をおろしてこんな写真が撮れる。もちろんこの付近でマリンスポーツを楽しもうと思えばいろいろあり、夏場には観光客も多い。



ちなみに、この地区の食堂関係は夜やっていないので、営業時間はネットなどで確認してから行くこと。

のんびり、潮風に吹かれて、砂浜を歩いて、少なくともここでストレスを感じることはないと思う。
ちなみに、地元の接客業の方々はちゃんとした標準語もしくはライトな琉球方言を話してくれるが、ジイとかバアはヘビィな島言葉ゆえ聞き取りは困難。自分はある会合で大正生まれの浜比嘉島のバアと同席した際、ほとんど聞き取れず通訳が必要だった。(宮城島の昭和生まれのバアが通訳してくれた(笑)。)
では、海中道路周辺の食事スポットはまた後日、お楽しみに。
プロローグ~始まり
1 沖縄へ
既に数年が経過してしまったが、「定期異動」を控えた自分に、そのオファーは唐突にもたらされた。人事担当者からの「沖縄、希望されていますよね…。」という事務的な提案は、東京に残っても思うようなポジションに異動できそうにない自分にとって、「そのほうがまだましか…」程度の選択肢であった。
これまでほんの少しの出張経験しかなく、観光もしたことがない土地であったので、「何が魅力か」はわからない。帰宅して、沖縄赴任という提案を妻にして、それなりの議論をした記憶はあるが、結果単身赴任で行ってらっしゃいということになり、翌日には上司に異存ない旨お話した記憶がある。
実際、これまで明確な単身赴任は経験がなかったが、子供たちはすでに一人前になっており、また妻も頼られる仕事を持っていたので、家庭的な心配はなかった。
こんな状況の中で、7月末、沖縄へと旅立った。多少の漠然とした期待と不安を抱いて…。

2 住まい
沖縄、と言っても誰もが想像する那覇市内に住んだわけではない。仕事の関係で中部東海岸の「うるま市」に社宅を借りて頂いた。

そもそも、うるま市、という地方自治体があることすら知らなかった。どうやら有名な嘉手納町の隣で、「沖縄市」にも隣接しているらしい。沖縄市も知らない…。何も知らない事が自分自身かなり笑えたが、長い人生の中でここまで関心がなかったのかと思い、ここでの生活はきっといろんな発見がありそうだ…、と自分に納得させていた。
幹線道路近くの社宅は一人暮らしには広く、家族を呼んでも何ら問題ない大きさ(所謂3LDK)だった。以後、家族、友人などの沖縄観光の拠点となる住処だったが、南国の沖縄らしく「暖房」はなく冷房のみだった。これが後日厳しい状況をもたらすのだが、なにせ台風直下の8月の事、何の疑問もなく受け入れていた。

3 観光
赴任したあたりは確か那覇で大規模なエイサーが行われており、妻と娘がなぜか観光しに現れた。私が職場でなんやかんやしている間にいろいろとスポットを巡ったようである。

その結論は、「所謂観光地はつまらない、行かなくともよい。」であった。要するに、最初から集客を目的とした観光施設は面白みがない、ということらしい。
ということで、本土に再異動するまでの間は、あまり「観光スポット」には行かず、どちらかというとニッチな場所を探す日々となった。役に立ったのは社会人の息子がくれたクロスバイク、これで北から南まで走破することになり、そこで見つけたこと、聞いたことがこの「奇譚」のソースになる。
ということで、ガイドブックにない沖縄、あまり人が行かない沖縄、のんびりできる沖縄を、地元の人々に聞いた話を交えながら紹介させていただこうと思う。
しばらくお付き合いいただければ幸いです。